海原までの道(オアシス)

両親の離婚後、母の実家の近くの古い空き家を借りて、生活するようになった。

今までのお家と違って汚くて、古いお家だった。

部屋もそれぞれが6畳くらいの3DK、居間と、子供たちの勉強部屋と、寝室

もちろん自分の部屋はない小さなお家。おトイレも水洗ではなく昔ながらのお便所だったので、いつも落ちないように気を付けて入っていた。

お風呂は薪をくべてお湯を沸かすため、火おこしを毎日するのが日課となった。

そんなことしたこともないので、母や近所の人に教わりながら、火をつけていた。

初めはなかなか上手にできず、煙が目に染みて涙を流しながら薪をくべていたが、お風呂を沸かせたときは達成感を感じていた。

自分で頑張ってお風呂を沸かし、家族みんなが気持ちよくお風呂に入るのを見ると、とても嬉しかった。

不便な生活になったけど、ここでの生活は楽しかった。

今まで家族それぞれ別の部屋に寝ていたのが、母と弟たちと布団を並べみんなで同じ部屋で寝るのは心地よかった。

狭くて不便で小さな家でも、前の家より安心して過ごすことができた。

母は体の調子が悪くても、暴力から解放され、神経を使わない生活になったせいかとても優しく、穏やかな時間が流れていた。

嫁いだ家は代々続く名家だったため、プレッシャーも大きかったみたいで、いい嫁、いい妻、いい母親にならなければとめいっぱい力を入れて頑張っていた。

一生懸命考えて、努力しても、空回りしていたことも多かったみたいだ。

私達のことも、子供の気持ちより、自分がどう見られるかという気持ちのほうが先走っていたようだ。

子供が成績もよく、色々なことが優秀にできれば、子供のためでもあるし、自分もちゃんと育てたという自負になり曾祖母への面目もたつと信じて疑わなかった。

それと同時に、父からの暴力は自分さえ我慢すれば、子供たちは幸せに暮らせると思っていたらしい。

でも、私達子供が笑わなくなり、すさんだ気持ちになっていく様と、自分の体の限界を知り決意したということだった。

環境が変わったせいか、気持ちが変わったせいか、お風呂を沸かしているときに見た夕日がとてもきれいだったことを今でも覚えている。

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