海原までの道(テニス)

私が通う中学校は、2つの小学校の卒業生が一緒に通う中学校のため、小学校の時は2クラスだったけど、中学校は3クラスになった。

テニス部では前衛と後衛に別れ、先輩が決めた人とペアーになることが決まっていた。

私は前衛、そして一緒になる後衛の子は、違う小学校の子に決まった。

その子は、夏休みの交流会で気になっていた子だった。

2人で頑張って地区予選で勝って、県体に行けたらいいねと言っていた。

その頃のテニス部は弱かったため、県体に行くなんて夢のような話で、現実味はなかった。

テレビの番組で、エースをねらえというテニスのアニメが流行ってた頃だった。

大好きなアニメだったので、それだけで一緒に頑張っているつもりになれた。

主人公の岡ひろみのように、初心者でもコツコツと練習を重ねればきっと強くなれると、家に帰っても隣の小学校に行き、素振りをしたり、壁打ちをしたり、走ってみたりと努力した。

1年生の時はほとんど学校の部活では球拾い、コートの整備で終わってしまう、コートが空いてる休み時間にラリーをしようとしても、1年生だから球を打つなと言われてしまう。

なんでなんだろう・・・

3年生からのその指導には、疑問しかなかった。

先輩の邪魔をしているわけではなく、空いているときに使うのがなぜいけないのかわからなかった。

受け継がれているものがあるのかもしれないけど、強くなりたいなら練習するしかないのに、そんなこと言ってるから強くなれないんだよと思っていた。

それでも夏休み前の大会で3年生が引退なので、2学期からは少しずつコートを使わせてもらえるようになっていった。私達ペアーは、自分たちが2年生になった時の9月の新人戦を目指して、練習を重ねていった。

そして2年の新人戦を迎えた。

努力の甲斐あって、地区大会で3位、県体大会出場の権利を手にした。

県大会に行くためにはもっと強くなりたい。

母に相談すると、テニスを指導してくれる人を探してくれた。

高校の先生だった。

ペアーのお母さんがとても協力的で、私の母が仕事で送迎ができないため、朝早くから夜遅くまで送り迎えをしてくれた。

朝、学校の朝練が始まる前に、親の車で離れた場所のことコートに行き練習、学校に行って朝練、放課後の部活が終わると、親の車に乗ってまた離れたコートに行き練習、たくさん練習を積み重ねた。

しかし、県大会では1回戦も勝てなかった。

プレッシャーと、見たこともない大きな会場の雰囲気にのまれて、試合の途中で勝負を投げていた。

自分のメンタルの弱さに痛感した。

全然ダメじゃん私・・・・

頑張ってきたつもりだった。

頑張ったはずだったのに・・・

力が抜けてしまった・・・・

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