海原までの道(そっくり)

転校して、数日たって別のグループの子達が、優しく話しかけてきてくれた。

心細かった私には、救われる思いだった。その子達は、親がどうのではなく私自身を見てくれた。

嬉しかった。そして彼女たちは生涯の友達となっていった。

離婚して母の実家の近くに住んでいたため、周りの大人は母をかばうように父の悪口を言っていた。

大人の事情は分からないけど、確かに父が悪いのかもしれないけど、私の心は複雑だった。

父の悪口を聞けば聞くほど、私は母に愛されないという思いが募っていった。

父を知っている人に会えば必ず言われる言葉が、

「お父さんによく似ているわね。本当にそっくりね」

父によく似た私・・・

母は、私の顔を見るたびに父を思い出してしまうんだろうな・・・

あんなに母を傷つけた父にそっくりの私・・・・

悪口を聞くたびに、そのままの私では愛されないと言われているようだった。

いい子でいないと、母が自慢できるようにならないと、嫌われてしまう・・・

そんな思いから、勉強も頑張り、スポーツも頑張っていった。読書感想文、夏休みの一研究、小学生時代は母が言うように、母が気に入る様にそんな母の目、世間からの目を気にして生きていた。

中学校に上がると同時期に、母が土地を買い家を建て、そこにもともとあった古民家を利用しながら民宿を経営を始めた。

その頃民宿ブームがあったそうで、毎日毎日大繫盛、そのため母も忙しく働いていた。

母の仕事も忙しく、祖母も母の兄家族とうまくいかなかったのもあり、祖母が我が家に越してくることになった。

家の方も手狭になったため、祖母と私達3人兄弟が住む別棟を建ててそこに住むことになった。

お店が忙しいと会話もなくなり、食事もあわただしく、一緒に過ごす時間はどんどん少なくなっていった。

しばらくすると母に彼氏ができた。

いいお客さんだし付き合って損はないし利用もできるし、お付き合いをしようと思っているのと、その人と付き合うのは好きだからではなく、店を守るため、つまりはあなた達のためになるはずだからという言い訳をしてくれた。そんな恩着せがましい言い訳をされても、心の中では嫌だと思っていた。

弟達は反対した。

そりゃ嫌だよね。私だって本音は嫌だもの、でもここでも私は心とは正反対の言葉をならべる。

「そうだよね、ママも恋してもいいんじゃない?」

母は嬉しそうに一人でもわかってくれる子がいてくれて、よかったと言っていた。

忙しい合間の休みは子供と過ごす時間より、彼と過ごす時間を優先していくようになった。

そんな私は、中学に入ったら部活何にしようか悩んでいた。

バスケット部もいいな~バレー部もかっこいいし・・・ソフトボール部もいいかも・・・

あれやこれやと悩んでいた時に、何気なく母に相談すると

「バスケも、バレーも、ソフトボールも駄目よ」

「え?なんで?」

「ハードなスポーツだから、勉強に差し支えるでしょ?そうだテニスならいいわね.皇太子さまも、美智子様もやっているから、テニスがいいわよ。」

母にそういわれると、反論できない自分がいて、

「そうだね。じゃあテニス部にする。」と言ってしまう自分がいた。

きっとテニスも楽しくできるだろうと思い直して・・・

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