母は小さい頃父を亡くし、祖母が4人の子供を抱え生きていくことになった。
戦後だったため、生活は苦しく、祖母が手持ちの着物を売ったり、畑仕事をしながら生活を支えていた。
そんな祖母を支えるため、母は兄弟の中で末っ子にもかかわらず、小さい頃から山に登り、薪を拾ってそれを売り、生計の足しにしてきたという。山で色々な木を見ながら、種類ごとの特性や良しあしを学び取り、その時に得た知識を使い、学校を卒業した後は材木関係の仕事について、そこで父と出会ったという。
母にとって山は、生きる源みたいなものだった。山には山菜やら木の実、そしてきれいな花も咲く。
母の大好きな場所だった。
ある日、母が子供達を誘い、山に遊びに連れて行ってくれた。
私にとって山は、遠足の時にロープウェイに乗っていくか、子供でも登れる小さなものしか登ったことがなかった。
母に連れられてきた山は、下から見上げると頂上も見えないくらい大きな山だった。
でも、母と一緒なのでそれだけで楽しくて、ワクワクしながら母の後を付いていった。
どんどん、どんどん登っていく。
なんだかワクワクしながら、どんどん、どんどん歩いていった。
転がらないように、滑らないように、足元を見ながら登っていく。
どんどん、どんどん・・・・
でも、だんだん足が重くなり、疲れてきた。
「ママ~っ 疲れたよ、ちょっと休もうよ」
聞こえてないのか母の足は止まらない。
それでもどんどん登るうちに、だんだん日も落ちかけ薄暗くなっていった。
なんだか怖くなってきて、
「ママ、帰ろうよ」
それでも母は、どんどん歩いていく。
私は泣き声に近い大きな声で、
「ママ、怖いよ、帰ろうよ」
弟たちも泣き出した。
走り登って、先を歩く母の手をつかんだ。
はっとした顔をして振り向き、涙を流しながら
「・・・そうだね。ごめんね、帰ろうね」
薄暗くなってきた山道を、みんなで下っていった。
後で聞いたら、心中しようとしていたらしい。でも、子供の声で我を取り戻したと話してくれた。
それからも、母は父から暴力を受け、肋骨を折ったり、脳が腫れたり・・・・
とうとうノイローゼになってしまった。
脳の腫れがひどく、お医者様の話では命の時間も長くないと言われた。
そして、とうとうその日が来た。
離婚だ。
親権争いの中、母は子供全員を希望した。
父や曾祖母も親権を希望したが、母の体の状態が悪かったため、そのうち死んだらどうせ子供達全員手元に帰ってくると思ったそうで、とりあえず私達は母と出ていくことになった。
母は、味方になってもらいたいためか、私に言った言葉が
「あなたは女の子だから、パパが一番初めにいらないと言ったのよ。」
・・・・子供心にこの言葉はショックだった。
大人の事情はわからないし理解もできない。
親の一言一言が、どれだけ子供の心に大きな影響をもたらすことか、この時はまだわからなかった。
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