海原までの道(学校)

一週間のうち、家に帰れば学習塾、そろばん、ピアノ、習字と毎日のように習い事をしていたので、友達遊びに行くことはあまりなかった。

学習塾も、そろばんも、習字も母からの勧めで通っていた。

ピアノは小さいころから弾いていたので、当たり前のようにレッスンに通っていた。

学校での生活は楽しかった。友達供たくさん遊べたし、何かと注目を集める目立つ存在になっていたからである。

塾のおかげで勉強はできたし、習字を書けば必ず賞を取り、読書感想文、夏休みの一研究も、必ず選ばれ賞を取っていた。ちまたでは賞状泥棒と言われるほどだった。

音楽の時間になると3歳からピアノを習っていたおかげで、先生の代わりに伴奏をしたり、鼻が高くなっていた。

ただ、賞を取るまでは、母の教育熱心のおかげで、習字は母が納得するまで100枚でも200枚でも書かされた。

読書感想文は私が書いたものを、母が手直しし、ほとんどが母の言葉でできた文章に変わっていた。

夏休みの一研究もほとんど母がして、私はただひたすらその研究を覚えただけだったが、賞を取れば母が喜びほめてくれる。それがとっても嬉しくて、母に喜んでもらえるように、ほめてもらえるように頑張っていた。

そんなある日、掃除の時間にたかし君にちょっかいを出され、手を振りほどいた瞬間に窓ガラスを割ってしまった。

 あっ どうしよう怒られる・・・叩かれる どうしようどうしよう、先生に怒られて叩かれる・・・

そうだこいつのせいにしよう!!

私はすぐに職員室に走っていった。

たかし君はいつも何かとちょっかいを出してくる嫌いな男の子だった。

「先生~っ ガラスが割れちゃったよ たかし君が掃除中にガラスを割っちゃったの」

先に言ったもの勝ちという気持ちで先生に報告した。

先生はすぐに教室にきて

「おいおい 怪我はないか?大丈夫か?

危ないからさわるなよ 先生が片付けるから」と先生が掃除を始めた。

あれ?

なんで?

先生は怒らないの?悪いことすると叩くんでしょ?なんで叩かないの?

なんで?

どうして怒らないんだろ、どうしてはたかないんだろ、私は不思議でならなかった。

夏のプールの時間は嫌いだった。

なぜなら私だけ水着が違うから・・・

母が選んでくれたものだった。母はよく東京に行っては洋服や靴、バックなど、田舎では手に入らない素敵なものばかり買ってきてくれた。

たくさん買ってくれてうれしかったけど、水着だけは嫌だった。

はたから見ればセンスがいいかわいい水着だった。

友達も「いいなー、いつもキレイなものばかり買ってもらって、すごいな~いいな~」

と言っていた。私はただニコニコしていた。

でも、私は本当はみんなと同じスクール水着が欲しかった。

水着だけじゃない!本当はTシャツだって、鉛筆だって、消しゴムだって、筆箱、ノートだって、みんなと同じようなキャラクターデザインのものが欲しかった。

でも、母は良家のお嬢様にはこういうものがいいのよ。こういうものが似合うのよ。と言って買ってきたものを誇らしげに私に与えるため、一緒に買い物に行くときも、自分が欲しいものを買ってもらえばいいのに、母が好みそうなものを手に取っていた。

必要なものはすべて何不自由なく与えられていた。

でも、自分が選ぶものは何もなかった。

ぜいたくな悩みだ。

でも、みんなにうらやましがられるけど、満たされていなかった。

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